霧島・錦灘酒造〜近代焼酎のふるさとを訪ねて その3

2009年9月6日日曜日 17:29

 霧島温泉の露天風呂でくつろぎ、湯船酒を軽く頂いてから夢の中へ。朝食後、霧島神宮を参拝。さらに、噴火で焼失したという霧島神宮跡へ登った。神社の故事は、ニニギノミコトが天孫降臨したと伝えられる高千穂峰の頂上に始まり、霧島山の噴火で焼失するたびに場所を移したようだ。今の社殿は1484年に選ばれた地とされている。


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 記紀神話と晩夏の蝉時雨が錯綜する高千穂連峰を脳髄に留めて、一路、鹿児島市内へ向けてUターンした。途中、錦灘酒造のチェコ村にある「リトル・プラハ」での昼食、黒豚しゃぶしゃぶは、三人前のお代わりまでする始末・・。


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 鹿児島人の多くは、今でも西郷隆盛"西郷さん"を敬愛している。実像写真が残されていないのは残念なものの、市内に堂々たる西郷像もある。西南戦争の弾跡が生々しい城山の石垣や自刃跡など、そこここに足跡を辿れる。明治維新後、新政府の中枢で活躍した大久保利通は人気が無い。むしろ、西南戦争で西郷さんと運命をともにした中村半次郎の名が挙がる。"人斬り半次郎"の異名を持ち、やはり野太刀自源流の使い手とされている。


 歴史の裏舞台はさて置き、もう一人の幕末のキー・パーソンが薩摩藩、十一代藩主・島津斉彬(しまづ・なりあきら)だ。西洋ツウだった曽祖父・島津重豪(しげひで)の影響が大きく、近代技術の導入に惜しみなく財を費やした人物。重豪に付き添って、医学、植物学など博学だったシーボルトとも会見している。

 そんな斉彬の生きた時代を身近に感じられる観光スポットがある。錦江湾に浮かぶ桜島を借景とするかつての島津家の別邸、仙巌園だ。斉彬が、近代工業生産拠点として始めた集成館事業の発祥地でもある。大砲造りに必要だった反射炉跡や、近代工業技術の足跡を辿れる博物館・尚古集成館が併設されている。斉彬の事業は、明治政府の目指した富国強兵、殖産興業路線のさきがけとなった。この史実の詳しい説明をしてくれるのが、仙厳園・尚古集成館の学芸員(仙厳園プレミアムツアーガイド)・有村さんだ。すらりとスマートで知的な薩摩おごじょだった。


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 それにしても斉彬は、飲食、造園、文芸に至る優雅な趣味人である一方。ジョン万次郎を保護するなど、近代日本の未来を見据えた先見性とビジネス・センスに長けた藩主だったんですね。 

 薩摩切子を産んだ集成館の技術といい、ボヘミヤ地方の町を思わせる酒造といい、酒好きならではの鹿児島旅ルートでした。〆の一句。


「ボヘミヤの 秋燃え残る 紅切子(べにきりこ)」(類)





<お知らせ> 錦灘酒造のご厚意で、10月24日(土曜日)、チェコ村のレストラン「リトル・プラハ」にて、楽しみ俳句会を開催します。ピルスナー、黒豚しゃぶしゃぶなど、飲み、食い放題で、参加費は3000円。俳句初心者でも、問題ありません。問い合わせ先:味香り戦略研究所、担当・小平(こひら)です。電話045-348-7201、ファックス045-333-8121


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