恐るべき女流俳人たち

2009年4月6日月曜日 19:57

 4月18日の新潟での〝吟行″(俳句会)が近づいてきた。14時から17時までの開催の予定で、会場が新潟県新発田市の菊水酒造の日本酒文化研究所とくれば、俳句のテーマは花見と酒の取り合わせとなるでしょう。菊水酒造のご配慮で、昔の料理・お菓子の再現や、日本酒文化研究所所有の酒器などを使い、句会がいつになく華やかになりそうです。少々、決まりすぎかもしれません。


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このところ、『舟』の俳句会でも女性メンバーの才能が目立っており、『女性俳句の世界』(上野さち子著)などを読み返したりして、興味津々でいる。そこで、句会の通信欄に「恐るべき女流俳人たち」と題して、次のようなコメントを記した。

女流プロ俳人の第一号は、斯波園女(しばそのめ:寛文四年~享保十一年)という。「白菊の眼に立て見る塵もなし」と、芭蕉が称えたほどの女性(人妻)だった。その後、与謝蕪村とほぼ同世代の女流俳人で、榎本星布(えのもとせいふ)が登場する。その星布に、西行の時世の歌をベースとした「散花の下にめでたき髑髏かな」(ちるはなのもとにめでたきどくろかな)の句や、「山市やあられたばしる牛の角」(やまいちやあられたばしるうしのつの)なんてのもあります。大胆かつ勇壮ですね。〝霰た走る″は万葉集の引用ですが、国学に精通した彼女ならではの句と思われる。女流俳人・星布の感性は、江戸時代、男ばかりの俳句の世界に一石を投じたのでしょう。

そして現代。「死に未来あらばこそ死ぬ百日紅(ひゃくじつこう)」(百日紅は〝さるすべり″の漢名)の一句が思い浮ぶ。この句は、NHKの俳句番組で二度ご一緒させていただいた俳人・宇多喜代子さんの作です。やはり、繊細さと仏教的な宇宙観が感じられます。明治期までは極めて小数だった女流俳人も、今や俳句の世界を女性がリードしている。先ごろ毎日新聞・土曜夕刊(2.28)に、森まゆみ(俳号:森羅)さんの記事が載っており、「四季というラブホテルあり根岸春」の句も紹介されていました。根岸には〝子規庵″だってあるぞという俳諧味もこめています。『舟』の天空句会で発表した〝処女作″の句ですから、末恐ろしい......。いや、楽しみな俳句センスです。 

 

 例の『東京・立ち飲み案内』(吉田類著・メディア総合研究所)が、今月16日ごろには書店に並びます。酒場ファンにも、飲食業と関わる人たちにも、楽しんでいただける内容だと思います。


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