通しナンバー43330

2009年3月6日金曜日 22:27

 北海道は、去年の早春に、余市のニッカ工場へ取材でお邪魔して以来です。浅草のオーセンティック・バー「バーリィ浅草」の木村マスター一行と合流しての旅。飛行機は左手に蝦夷富士と呼ばれる白銀の羊蹄山を望んで、苫小牧の方向から、アイヌ・モシリの千歳空港へ。さすが大平原、障害物がない所為かランディングも実にソフトだ。

 まず、「バーリィ浅草」初代・名バーテンダー佐野繁雄さんの故郷、美唄へ寄って13回忌の法要に参加させて頂いた。我がイタリアン・ブーツはスケート靴を履いたようにツルーっ。札幌へ戻って、ホテルにチェックインするも、早々と札幌を代表する大衆酒場へ。旨い濁り酒を、駆けつけ3杯ほど啜ったものの、時間的なゆとりが無く、本命の「バーやまざき」へ直行した。

 マスター・山﨑達郎さんは、バーテンダーやバー・フリークにとって、神様のような存在だ。おん歳八十八の米寿。店の開業が1958年だから、半世紀を越えた。かろやかなシェイクをスロー・スローと最後に二度振って収める。マスター、ご自慢のサイドカーを、おごそかに頂く。キューンと冷えてはいても、なぜか北の大地のふくよかな温もりが口中を満たす。なんとも老練な味。アルコールは嗜間ないタイプ。背筋の伸びたスマートな立ち居振る舞いは、現役、白寿の証明です。
sakeo_030601.jpg 「若いバーテンダーは、技術に走って欲しくないですね」。とのお言葉。カウンターを挟んでの心の対話こそが大切、と付け加えられた。そして、お得意の切り絵による似顔絵を作って下さった。「戦後、アメリカの兵隊さんに作って差し上げたら、喜ばれましてね」。いったい僕で、何人目だろうかと、通しナンバーを見れば、43330番。この数には、恐れ入りました。


 続いて、山崎さんの弟子・中田輝子マスターのバー「ドゥ・エルミタァヂュ」へ。〝じゃばら″という名の柑橘系カクテルを頂く。名バーテンダーの、〝懐の深い包容力″は、きっちりと弟子に受け継がれていました。
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仕上げは、狸小路の塩ホルモン発祥の店「炭や」。
だったような気もするが、もっとハシゴしたかも。


えっ、切り絵は、似ているかって......。そんな事、問題じゃあ有りません。
さて、明日は余市へ。


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